ほとんどが判例にページが割かれている。判例も事案と要旨とあてはめがそのまま引用されているが、大事なところは太字になっていて、論文や短答で出題歴のある箇所は下線が引いてあるので、問題を確認しに行ってどう問われているかをみることもできる。
面白そうな判例が、勾留中に摂食しなくなり胃管を入れたら(抜去時?)出血したので訴えられた話。
事案を見るに、一応は原告敗訴になっているが、許可なく胃管を挿入し、そして鼻出血した、ということなので、説明と同意が要るということと、自分の意思で食べないなら無理に胃管いれてまで栄養取らせる必要もないなあと思った。
拘置所に収容された被勾留者に対する国の安全配慮義務の有無
拘置所に収容された被勾留者に対する国の安全配慮義務の有無 | 有斐閣Online:ジュリスト2017年2月号(1502号)
拘置所に収容された被勾留者に対する国の安全配慮義務の有無 | 有斐閣Online:平成28年度重要判例解説民法(1505号)
拘置所に収容された被勾留者に対する国の安全配慮義務の有無 | 有斐閣Online:平成28年度重要判例解説行政法(1505号)
拘置所内の被勾留者に対する国の安全配慮義務の存否 | 有斐閣Online:法学教室2016年8月号(431号)
並行して読んだ。
元ネタは連載記事。連載/講座 スタンダード行政法 | 有斐閣Online
疑問に思った点については、科学技術の判断起点が実際の処分が行われたときで考える処分時説と、現代(というか口頭弁論結審時)の水準かで考えるべきかという話で、判旨では「現在の科学技術水準に照らし」と書いてあるが、当時の科学的水準を時間が経ってから間違っていると判断されると一般市民の感覚からするとたまらんなあ(後医は名医、という格言がある)と思ったが、
第6章 第5節 取消訴訟の審理と判決 | 有斐閣Online
科学技術的判断と裁判所の審査 | 有斐閣Online
最高裁は,伊方原発訴訟において,「現在の科学技術水準に照らし」,安全性を判断すべきであると判示した(最判平成 4・10・29 民集 46 巻 7 号 1174 頁, 百 選 Ⅰ 77 事 件, 本 誌 465号 79 頁参照)。そこで,この判示が処分時説と矛盾しないかが問題となる。
同判決の調査官解説は,処分時説と矛盾しないとする。すなわち,どの時点の科学技術水準によって判断すべきかは,科学的経験則の問題であり,従来の科学的知識に誤りがあることが現在の学界における通説的見解となった場合,現在の通説的見解が当該訴訟で用いるべき科学的経験則であり,これによって判断すべきであるとする(高橋利文「判解」最判解民事篇平成 4 年度 423 頁以下。)。
安全でないことがのちに明らかになったとしても,客観的にみれば,処分当時から安全ではなかったといえるから,処分時説と矛盾しない,という趣旨であろう。巧妙で説得力ある説明であり,社会常識にもかなう。他方で,処分庁がしなかった(できなかった)判断を,裁判所が行う結果となることも,否定できない。
巧妙で説得力があると言われてもようわからん。
伊方原発事件 | 有斐閣Online の解説には
5 現在の科学技術水準
判旨 ⅴ にいう「現在の科学技術水準」の意味については,「科学的経験則説」(高橋利文・後掲 423 頁)と「判決時説」(たとえば,首藤重幸・法教 271 号 49 頁)の 2 つの読み方がある。
当該施設が審査基準に適合するという判断に「看過し難い過誤,欠落」があるかどうかという司法審査が「判断過程の統制」を志向するものと読むと,その合理性が「現在の科学技術水準に照らし」て審査されることとの不整合が気になるところである。原子炉の安全性を実質的に審査するのであれば「現在」の水準で考えることは理解しやすいが,行政機関の過去の判断過程を再吟味する場合,当時は知りえなかった知見が考慮に入っていなかったことをもって「欠落」があったとすることには違和感がある(山田・後掲 47 頁)。ドイツでは,取消訴訟ではあくまでも処分時の科学技術水準を問題とし,知見の進歩は事後的措置命令等を求める義務付け訴訟において考慮するという整理がなされているようである。本判決の立場や判決時説は,いずれも行政訴訟制度改革による「法定」がなされるまで義務付け訴訟が容易には認められなかったわが国における「取消訴訟の負担過重」を反映しているのかもしれない。
当時は知りえなかった知見が考慮に入っていなかったことをもって「欠落」があったとすることには違和感がある、というのがまさしく思うところである。

